観光の目的と定義
観光の目的と定義だが、観光政策審議会の1995年の答申には、「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行う様々な活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」とあるそうだ。こうなると旅行もそうだろうし、滞在して過ごすリゾートも観光に入りそうだ。
観光・リゾート地に別荘を建て、年に数回利用するのは、観光政策審議会の1995年の答申でいう観光に含まれそうだが、定住、移住となると、もう観光でもリゾートでもないということになる。それはその場所が日常生活になる。
それはそれとして、観光とリゾートを、管理人は、日常の言葉の使い方で使い分けている。何がどう違うのだろうか。
放送大学の講義
管理人は、現在放送大学の学生である。履修している講義のひとつに「観光の新しい潮流と地域」というのがある。講師は、観光政策審議会の1995年の答申のような広い意味の観光ではなく、狭い意味の観光を定義し、リゾートとの比較を行って下さった。月間レジャー産業資料224号の渡辺、安島氏の分類をとりあげている。講義を聴いて、なるほどと、しっくりとこの分類で得心がいった。将来の定住を目指す管理人の考えも付記しながら、メモしておく。
狭義の観光とリゾートの比較
目的という切り口から見ると、狭義の観光は、発見、好奇心、探検、リゾートは、くつろぎ、心地よさ、快適さとなる。定住予定地としては、老後の準備、整備なんかも目的だ。人間の本能として、漂泊、さすらいたい、と、定住、よどみたい(w)の対比がなされている。講師の十代田先生のボキャブラリー、ここだけじゃなくいろいろ楽しませてくれる講義だ。
感覚では、観光は精神的で父性的、緊張、刺激、インスピレーション、リゾートは身体的、母性的、弛緩、安息感としている。まあリラックスするリゾートというイメージで、母性的なんだろうかね。田舎暮らしとして考えると、両面あるなぁ、今のところ。チェンソーで木を切るとか、緊張するし、刺激もあるし。はっと気が付くようなこともある。
場所との関係でいえば、観光は、旅行、漂泊、旅人、リゾートは定住、転地、準住民。いずれリゾート地に定住しようと思う管理人には、この準住民という感覚は非常によくわかる。町民税とられているというのもあるがw 十年通っていると人間関係もできてくる。天気予報も行く予定がなくても、雪なのか夕立なのかと関心をもつし、選挙などのニュースも気になってしまう。
観光は、空間を観光資源とするが、リゾートは環境とみる。これも実感できる。風景を作る、景観を作る。築40年のボロ小屋で、外装にお金をかけていはいないが、修理して荒れた感じは除くことは大事なことだと思う。
最後の住処
人間、どこで死ぬかは、コントロールが不可能な面も多いだろう。出先での不慮の事故もあるだろうし、災害の場合もあるだろう。病院で亡くなることもあるだろう。それはもう、ある意味、シルバーライフをどう生きようかと考えても、制御不能の領域、神のみぞ知る世界の話だ。それでも、その時までの時間を、どこで、どういう環境で過ごすかは、選択の余地を持てている人もいるだろう。
管理人は、観光リゾート地のボロ家を最後の住処としてはいるけれども、こればっかりは、どうかなるかはわからないw 制御不能なパラメーター、エレメントは思い悩んでもしょうがないのでw あんまり考えないのも、熟年オジサンの知恵かもしれないなw
土地ではなく人が決める
結局、観光地とリゾート地は、同じ場所(緯度、経度、座標)であっても、そこにいる人間によって違うということになるなぁ。観光もリゾートも、あるいは、そこに住む、生活するにしても、人間が行うことだ。自然や土地は、同じでも、「心」次第というこkとになるんだなよな。