古典文学と古典の筝曲
徒然草の第一三段に「ひとり燈火のもとに文(ふみ)を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」」というのがある。文章は、時代を超えて著者と読者を繋ぎ得る。音楽は、即時性、刹那を基本とするの芸術だろう。録音技術の発達で、かなり埋められるようにはなったものの、洋楽、邦楽問わず、ライブに勝るものではない。
演奏者の技量や演奏は、時間を越して残りにくいものでも、古典音楽のメロディや歌詞は歌い継がれ、奏で継がれてきた。古いものがなんでもいいわけではないのだが、継承されてきたことそのものに、そして継承してきた方々には敬意をもちたい。
「見ぬ世の人を友とする」 古典音楽に接して、こんなことに思いがいくのは、きっと俺も年をとったのだろうw
演奏者の技量や演奏は、時間を越して残りにくいものでも、古典音楽のメロディや歌詞は歌い継がれ、奏で継がれてきた。古いものがなんでもいいわけではないのだが、継承されてきたことそのものに、そして継承してきた方々には敬意をもちたい。
「見ぬ世の人を友とする」 古典音楽に接して、こんなことに思いがいくのは、きっと俺も年をとったのだろうw