遺書
シルバーライフ世代、セカンドライフ世代ともなれば、遺書の1度や2度考えたこともあるんじゃないだろうか。
自分が死ぬときのことを考える事を、ネガティブに捉えれば、バカじゃないのという話だが、より充実して生きるために、自分の整理のためにとして、死ぬときのことを考えておくことは、けしてネガティブな話ではないと思う。
弔辞
7つの習慣の中で、自分の葬儀を考えろというのがあった。自分の伴侶や身内、あるいは職場の人たち、友人たちに、どんな弔辞を読んで欲しいかをイメージしろというのだ、
自分が、人にどう見られるかを気にしながら生きるという話じゃない。自分がどうなりたいかを検証、確認するためのプロセスのひとつだ。
エンディングノート、最後の覚書
電車の中で、エンディングノート、最後の覚書という単語を見かけた。画面で流れるタイプのCMで、それほどしっかり見ているわけじゃない。しかし、この2つの単語が、心に残った。
もしかしたら、CMの意図とはちがうことを、管理人は思ってしまったかもしれない。
管理人は、自分の死を見送る人に、書き残して、伝え残しておくことはないだろうか。そのために、最後の覚書として、エンディングノートを作りましょうといいたいのだろうと受け取った。遺書というと、言葉にネガティブさがつきまとうが。
49日のレシピ
このエンディングノート、最後の覚書のあとに出てきたのが、49日のレシピだった。なかなか感動を呼びそうな映画だな。
そうか、これの前フリだったわけねと、ここまで見て気がついたw